4,日月神示(ひふみ神示)の真の解釈
地球の陸地の姿について

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本題に移る前に赤字の私のブログの文章を添付します。早急に皆さんに知らせたいので。
 
 
 
『岡本三典著「ひふみ神示」地震の巻の文章は岡本天明著作「霊界研究論集」の中の引用文です。原典日月神示では墨絵だけで文章はありません。

岡本三典先生が「ひふみ神示」を世に出すとき原典日月神示を参考に現代語にしたのでしょうが自分の夫の研究論文を日月神示の墨絵だけでは寂しいと思ったのかどうか聞きそびれましたが引用しているのです。だから三典先生は地震の巻の字体を変えています。私がひふみ神示を始めて手にした時、それまで岡本天明著作「原典日月神示」や「霊界研究論集」を四苦八苦して読んでいたので三典先生が読みやすい良い本をだしたなとうれしかったです。しかしひふみ神示を読み進めると原典と違い人名が削除してあるし校正ミスも多々あるなと気が付きました。地震の巻は天明氏の「霊界研究論集」論文を引用したのかとの感想でした。いずれ「ひかり教会」本部が出来、本部より忠実な訳が出るのも時間の問題で三典先生の解釈版ひふみ神示はそれはそれで良いところもあるからと納得していました。ただ当時の至恩郷での勉強会に出て座談会のとき三典先生に地震の巻の件は聞かなかったのですが三典先生に校正間違いがたくさんありますよと言いましたら、三典先生は回答せず笑っていました。
 
日月神示では声を出して神示を読めと何度も出てきますが、私は他の巻は声を出して読んでいますが「ひふみ神示第17巻地震の巻」の文章は一度も声を出して読んだことはありません。他の宗教に比べ日月神示が世に出てまだ日が浅いのにこの地震の巻17巻はおかしいままになってしまいます。軌道修正をみんなでしないという思いです。私がこの地震の巻17巻の事情を研究不足で間違っているかもという不安もあり自分の解釈をはっきりさせたいという思いでこの件を問題定義したいです。』
 
ここから本題です。

 
 地球の陸地の姿について説明します。

日本の陸地の原理・・・これをデフォルメしたのが現在の日本の陸地

地球の陸地の姿は偶然このような形になったのでなく、神様の意志により神の姿に形作られている。日本は魂、世界は肉体。しかも神様のメッセージが含まれていて、神様とその時代の人類の関係を示されています。

ハルマケドンの戦い以後 日本、世界共に正常な神の姿に、元の姿に変わります

逆立ち(本州、ユーラシア大陸)して歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま(九州、アフリカ大陸)下で手(北海道、北アメリカ大陸)で歩くのは苦しかろうがな、上にいては足(台湾、北アメリカ大陸)も苦しからうがな、上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、足(台湾、北アメリカ大陸)はやはり下の方が気楽ぞ、あたま(九州、アフリカ大陸)上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、この道理分りたか。岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。  ひふみ神示第02巻 下つ巻 第十三帖

            

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 宇宙は霊の霊と物質とからなってゐるぞ。人間も又同様であるぞ。宇宙にあるものは皆人間にあり。 人間にあるものは皆宇宙にあるぞ。人間は小宇宙と申して、神のヒナガタと申してあらう。ひふみ神示 第三十巻 冬の巻 第一帖

  人民の肉体も心も天地も皆同じものから同じ想念によって生れたのであるぞ。故に同じ型、同じ性を  もっているぞ、五十黙示録 第六巻 至恩之巻 第五帖

  神の申す言葉が判らぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、納  得の行くように致して見せてあるでないか。五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第八帖

  理とは三界を貫く道のことぞ。字宙にみちみつ のあり方ぞ。法則ぞ。秩序ぞ。神の息吹きぞ。弥栄  ぞ。喜びぞ。判りたか。 ひふみ神示 補巻 月光の巻 第四十三帖


  理屈は一方的のものぞ。どんな理屈も成り立つが、理屈程 頼りないもの、力にならんものないぞ。理(リ)が  (カミ)の御能(オンハタラキ)ぞ、 ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻 第三帖

  神は理屈ではない。理であるぞ。生きた自由自在の、見当とれん、絶対であるぞ。 ひふみ神示 第二十六巻   黒鉄の巻 第二十六帖

  そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐるが、理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。 ひふみ神示 第 一巻  上つ巻 第二十帖


 人は天地(自然)と生きている人間の構造(肉体に魂が宿っている)には、それぞれに敬意を払っているのですが、この二つが同じ型、同じ性質であることを気づいている人は少ないのではないのでしょうか。天に相当するのが人間の魂で大地に相当するのが肉体という宇宙法則である理です。これが神示を解くには重要なのです。生きている人間の構造システムに有るものは必ず大宇宙である天地の法則にあり、天地に有るものは必ず小宇宙の人間に有るのです。ある天地のことわりは必ず人間のことわりの何かに相当するというのです。この反対に、ある人間のことわりは天地の何かのことわりに相当するのです。具体的には人間の髪の毛は天地の何かにあたり、目、脳、鼻、耳、口、細胞、五臓六腑、筋肉、骨、爪、生殖器、肛門、等これらは天地の何かに相当するということなのです。反対に天地の日、月は人間の何かに相当し雨、川、植物、生物、人間、てんし様、電波、道路、家、等も人間の何かに相当すると言うことなのです。これらの要素を一つ一つ解明していけば良いのです。人間、天地の法則を理といい、逆に人間の仕組み、天地の法則のどちらかに照らし合わせて仕組み、法則が無いのを理屈や屁理屈と言うのです。

  天にあるもの地にも必ずあるのざぞ、天地合せ鏡と聞かしてあろがな、天に太陽様ある様に地にも太陽様(お ひさま)あるのざぞ、天にお月様ある様に地にもお月様あるのざぞ。天にお星様ある様に地にもお星様あるのざ ぞ。ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第十三帖    

  世界中皆この神の肉体ぞ 五十黙示録 第五巻 極め之巻 第七帖

  日本の国は世界の雛形であるぞ、ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第十七帖

  日本の国はこの方の肉体であるぞ。 ひふみ神示 第五巻 地つ巻  第三十五帖


  逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは苦しかろう がな、上にゐては足も苦しからうがな、上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、足はやはり下の方が 気楽ぞ、あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、この道理分りたか。岩戸開くとは元の姿に 返すことぞ、神の姿に返すことぞ。 ひふみ神示 第二巻 下つ巻 第十三帖

  二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二本のお足であんよせよ、二本のお手手で働けよ、日本の神の御仕組、い つも二本となりてるぞ、一本足の案山子(かかし)さん、今更 何うにもなるまいが、一本の手の臣民よ、それで  は生きては行けまいが、一本足では立てないと、云ふこと最早分ったら、神が与えた二本足、日本のお土に立 ちて見よ、二本のお手手 打ち打ちて、神おろがめよ あめつちに、響くまことの拍手に、日本の国は晴れるぞよ 、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二二(ふじ)は晴れたり、岩戸あけたり。 ひふみ神示 第四巻 天つ巻 第七帖

 人間に有るものは天地に有る。その天地は天と地に分けられ天に有るものは地に有る。地とは地球の事である。地球はさらに日本と日本を除いた世界に分けられる。つまり魂、肉体、人間、日本、世界、地、天、天地は宇宙の一つの単位として同じ理で出来ているということなのです。対比表を作りました。日本と世界の関係は大本教が明らかにしています。日月神示を研究されいる方はご存じでしょうから説明しません。
 

日本  世界  人間 解  説 
 樺太 グリーンランド  剣  いつも剣の下にゐる気持で心ひき締めて居りて呉れよ、 ひふみ神示 第三巻 富士の巻 第六帖
北極よりが刃になります。北海道よりが持つ所。
 北海道 北アメリカ
大陸 
手の平  台湾が足の平になりますので手は北海道しかありません。龍の手でしょうか、それとも水かきが指の間にあるのでしょうか。
 北海道のアイヌ民族と北アメリカ大陸のインディアン民族は同様の悲劇の歴史を歩んできました。日本に起きた事は世界に起こるのか。
 日本の人民よくならねば、世界の人民よくならんぞ、ひふみ神示 第十九巻 マツリの巻 第十六帖 
本州  ユーラシア大陸 一本足の
案山子 
(頭がない?)
和歌山で左足の切れた一本足の案山子。東京が心臓になります。人体では心臓は左よりですから東京の位置から本州は上向きになっています。広島の昔の地名は安芸。それが人体ではアキレス腱。「安芸の国がアキレス腱です。」このキャッチコピー私はお気に入りです。地名と人名ですが神様の駄洒落でしょうか。大阪湾が膣。琵琶湖が子宮。濃尾平野のあたりが尾てい骨。そこから北へ延びる山脈が背骨。フォッサマグナが横隔膜。
 房総半島が左腕でしょうか。先に引用した「一本の手の臣民よ」
 下には永遠の腕(宇丁)(うで)があるぞ。 五十黙示録 第五巻 極め之巻 第二十帖
と腕に関した神示はこれがあります。腕は地中の方へ伸びていっているのか、それにしても左腕の左がおかしいです。左は目に見えない世界に言霊する(日、秘、霊等)ので右腕が存在するのだったら納得できるが房総半島が左腕は疑問があります。
 東京から東北地方にかけての北部分が納得のいく説明がまだ見つかりません。龍の体やからこんなんだろうか。と模索中です。

 
淡路島  ボルネオ島   男根 金玉の付いた男根。本州よりが先端になりその本州の地名が垂水(垂れる水)。徳島よりには鳴門の渦潮があります。これは会陰にあるムーラダーラチャクラになります。

 「イスラ」の十二の流れの源泉(みなもと)判る時来たぞ。ひふみ神示 第十三巻 雨の巻 第一帖

ユダヤ民族は十二部族です。またイスラエルは人体では股間の位置に有ります。人体で股間にありしかも数量が12あるものは神経系統か経絡等があります。ユダヤ民族はこれらに相当すると思われます。
四国  オーストラリア
大陸 
 鏡?  四国はまだ説得力のある見解が出来ていません。神示の中にヒントは書いてあると思うのですが納得できるものが発見できません。樺太の剣に対して鏡だろうか、女陰だろうか、仏教の法具の鈷許だろうか、頭に被るものだろうか、神具の中のなにかだろうかと色々思案していますが納得できません。ただ五大州のオーストラリアに四国が対比してるということは必ず何か意味があります。

何もかも神示読めば判る様になってゐる事 忘れるでないぞ、ひふみ神示 第十二巻 夜明けの巻 第五帖

 日本の国は世界の雛形であるぞ、雛形でないところは真の神の国でないから、よほど気つけて居りて呉れよ、一時は敵となるのざから、ちっとも気許せんことぞ、神が特に気つけておくぞ。今は日本の国となりて居りても、神の元の国でないところもあるのざから、雛型見てよく腹に入れておいて下されよ、後悔間に合はんぞ。ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第十七帖
九州  アフリカ大陸  横顔、頭  横顔です。大隅半島が上唇。薩摩半島が下唇。桜島が喉チンコ。桜島が火山ということは龍の顔でしょうか。日南のあたりが鼻。高千穂がアジナチャクラ(第三の目)。奄美諸島から沖縄にかけてがクシャミをした鼻水。沖縄の県庁所在地那覇(なは)を反対から読めば鼻(はな)になります。
 アフリカ大陸は地図を見れば誰でも横顔と判りますが、マダガスカル島が白米です。神様のこの配置面白ですね。玄米でなく精米した白米を口のところに置いてあります。サハラ砂漠がサハスーララチャクラ。サハラとサハスーララ良く似ています。チャクラはサンスクリット語で日本語では千座(ちくら)。昔の宗教用語は共通言語だったのでしょうか。サハスーララチャクラを王冠のチャクラといいます。これが人間ではてんし様に相当します。今アフリカ大陸では砂漠です。
 
台湾  南アメリカ
大陸 
足の平  左地図南アメリカ大陸でアルゼンチン側の海の深さの低い所を塗り潰しましたら右図の様になります。右足の平になるでしょう。靴をイメージしてみて下さい。これが北海道の手の平の解明につながりました。いわゆる消去法です。台湾が足であれば手はどこか?北海道しかありません。南アメリカ大陸 南アメリカ大陸


  逆立ち(本州、ユーラシア大陸)して歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま  (九州、アフリカ大陸)下で手(北海道、北アメリカ大陸)で歩くのは苦しかろうがな、上にゐては足(台湾、南ア  メリカ大陸)も苦しからうがな、上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、足(台湾、南アメリカ大陸)は やはり下の方が気楽ぞ、あたま(九州、アフリカ大陸)上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、こ  の道理分りたか。岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。  ひふみ神示 第二巻 下つ巻 第十三帖  

 元の地球の陸地の形は日本も世界も神様の正常な姿だったのです。あるべき位置に頭や手や足があったのです。それが人類が神様の言うことを聞かなくなると地球の陸地が人類の信仰心の程度に相応した姿に変わり、リセットするが又人心が神様から離れると陸地の姿が変わりを繰り返し、逆立ちしている一本足の今の姿に変わったのです。これからの岩戸開きで今の陸地の形を正常な神様の姿の形に戻されるのです。もちろん人類の信仰心も元に戻るのです。今も昔も、地球の陸地は人類と神様の関係を現した神様の姿の形になっているのです。

  元の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、その積りで居れよ。 ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第二十五帖 

神の国は神の肉体ぞと申してあるが、いざとなれば、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に出来てゐるのざぞ。何でも肉体となるのざぞ。なるようにせんからならんのざぞ。それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。神の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、神の国が欲しいは、誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の元の国、力の元の国、光の国、真中(まなか)の国であるからぞ、何も彼も、神の国に向って集まる様になってゐるのざぞ。神の昔の世は、そうなってゐたのざぞ。磁石も神の国に向く様になるぞ。北よくなるぞ。神の国おろがむ様になるのざぞ。どこからでもおろがめるのざぞ。おのづから頭さがるのざぞ。 ひふみ神示 第十二巻 夜明けの巻 第二帖

日本は聖書のアダムとイブの時代の楽園の国(エデンの園)です。その楽園の国は北は樺太(サハリン)から南は台湾までが楽園の土地なのです。映画に例えると日本である楽園がフィルムになりスクリーンに映る映像が世界になります。フィルムに存在してこそスクリーンに映るのです。しかし今は台湾と樺太はフィルムである楽園の日本にありません。台湾と樺太は本来フィルムにあるべきなのにフィルムである楽園の日本に現在ないのでフィルムに光を当てても南アメリカ大陸とグリーンランドがスクリーンに映らないのです。南アフリカ大陸とグリーンランドの国々よ人々よ、あなた方の土地は現在フィルムにありません。フィルムである日本になるよう訴えて下さい。神の理にかなえばおのずと花が咲き実が実るのです。

 戦争とは何かと言うことですが、戦争を人体にたとえると胃と腸が傷つけ合うようなものです。アメリカは手の平、イラクは下腹部あたりにあります。自分の手で腹を叩いているのが湾岸戦争でしょう。アメリカやイラクは肉体の一部ですが日本は心であり霊魂そのものなのに湾岸戦争ではアメリカの肩を持って戦争の協力をしました。手で腹を叩いているのをもっと強く叩くようにけしかけているのが当時の日本政府のやってきたことです。アメリカやロシアや中国やは肉体の一部です。それに対して日本は心であり霊魂なのです。楽園なのです。それを早く日本人が日本政府が自覚し誇りを持つようしなければなりません。そうして日本から世界に対し早くこの理を発信すべきです。争いごとは自分の体で、勝手に臓器同士や肉体の部位同士が、あるいは手が臓器等を傷つけているということなのです。地球の陸地は神様です。神様の体を傷つけているのです。

  仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来 て 完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世 となったのであるぞ 五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第十帖

神は臣民楽にしてやりたいのに楽になれて、自分でした様に思ふて神をなきものにしたから今度の難儀となっ て来たのざぞ、其処にまだ気付かんか、キが元ざと申してあろがな ひふみ神示 第九巻 キの巻 第五帖

  何も知らずに上に登りて、神を見おろしてゐる様で、何でこの世が治まるものぞ。 ひふみ神示 第九巻 キの巻 第九帖

  神が主であり人民が従であると申してあろう。これを逆にしたから世が乱れてゐるのぞ。結果あって原因ある のでないぞ。 ひふみ神示 第二十九巻 秋の巻 第二十三帖

 人類創造時と今とは大違いです。人心が神の理(真理)が判らなくなるにつれ地球の陸地は今の姿になったのが推測できるでしょう。仏教の渡来は奥が深そうです。

五大州ひっくり返りてゐるのが神には何より気に入らんぞ。ひふみ神示 第四巻 天つ巻 第一帖
 

 五大洲 引繰り返って居ることまだ判らぬか。肝腎要(かんじんかなめ)の事ざぞ。七大洲となるぞ。八大洲と なるぞ。 ひふみ神示 第十巻 水の巻 第十帖

  手は手の役、うれしかろうがな、足は足の役、うれしかろうがな、足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ、 それがまことの姿ぞ、逆立して手が足の代りしてゐたから よく分りたであろうがな。いよいよ世の終りが来たか ら役員気つけて呉れよ。神代近づいてうれしいぞよ。日本は別として世界七つに分けるぞ、今に分りて来るから 、静かに神の申すこと聞いて置いて下されよ。 ひふみ神示 第二巻 下つ巻 第十三帖
 
  一度はどろどろにこね廻さなならんのざぞ。ひふみ神示 第六巻 日月の巻 第二十七帖

  日本の人民の身魂(みたま)が九分九分九厘まで悪になりてゐるから、外国を日本の地に致さねばならんか  ら、日本の地には置かれんから、どんなことあっても神はもう知らんぞよ。 ひふみ神示 第十九巻 マツリの巻
 第十帖 

  外国を日本の地面にせなならん、日本とにほんと取違ひすな。 ひふみ神示 第二十巻 梅の巻 第十四帖 

 
 それではどのように変わるのか。日本だけを見れば、最悪は神示にあるように、今の日本列島は全て沈没し外国の地に日本列島を作るのがまず考えられます。そして霊魂である日本列島と肉体である世界の位置を考慮されるでしょう。肉体の位置と霊魂の位置をどこに位置付けるかということです。反対に日本列島及び日本列島の周りの海が隆起して世界の一部になる可能性も考えられます。今の日本列島をベースに考えれば、新しく生まれ変わり正常な神様の姿になる日本列島は北極のある方が上なのか、南極の方角が上なのかということも考慮しないといけません。今までは北の方が頭の理と天理教の先生に教わったのですが、何もかも変わるのでどのようになるのでしょう。まだこの仮説のテーマで神示を読んでいません。つまりどちらに頭がくるのかということです。本州が逆立ちしているのを180度回転さすことによって頭を南側にもってくるのか、それとも北に頭を持ってくるのか、今後この仮説で神示を読み直します。今は断言出来ません。一番分かり易い小難は和歌山から左足の陸地が隆起してできるということです。和歌山で陸地が隆起すれば大阪や神戸には50メーター位の津波が来るのだろうか。今でも阪神淡路大震災で苦しんでい人は大勢います。この人達がまた津波の災難に耐えれるだろうか。これでも効率のいい小難です。大難は泥海です。頭である九州は足の下にあるのでこれを上に持ってくると言うことは九州は沈没して北海道あたりに頭の形をした陸地が出来るのでしょうか。いずれにしろこの時の地震や津波は大変なことです。大地震どころでないでしょう。世界の五大州の位置関係も変わるというのは本当に泥海も考えられます。反対に泥海にしないで五大州ひっくり返っているのを正常な神様の姿に戻すことができるのだろうか。こちらの方が奇跡の神業ではないでしょうか。神様は陸地の変革の経緯はだいたい青写真は出来ていると思いますが、大難の泥海になるのか、小難にまつり変えて下さるのかは人類の改心度によると仰っています。まだ間に合うと思って日々を神示に合わせる生活がしたいです。
 

私は明石(日月の石)に住んでいますので阪神淡路大震災を経験しました。この阪神淡路大震災でも地球の終わりがきたのかと思ったのですが、日本と世界の陸地の姿が変わる時は阪神淡路大震災の地震の比ではないです。その時、衣食住はどうすればいいのか。阪神淡路大震災では神戸地区だけの被害だったので、被害を受けたり傷ついた人は日本中から支援物資やボランティアが集まり助けを受け、被害を受けてない学校等で夜露から逃れることが出来ましたが、日本中さらに世界中が同時期に壊滅すれば病院、寝る所、トイレ、風呂、飲料水、食事等をどのように人類は確保するのか。人々は秩序ある行動が取れるのか、無秩序になってしまうのか、想像するがイヤになってしまいます。バチカンが公表しないファティマ第三の予言はこの時の阿鼻叫喚の光景を見て書いているのでしょう。我々はこの地球の陸地の変わる期間を少しでも短く且つ泥海にならないよう効率的に陸地の姿を変えて下さるよう神様に祈るしかありません。

別の見地からは、和歌山で足が切れ、本州は逆立ち、手も足も頭も本来あるべきところにないくらい今この世に生まれてきている人類は神様の話が判らないという事なのです。和歌山から足が沈んでいるということは、人類が目の見える世界や現象は理解出来るが、目に見えない世界や現象は信じないし理解出来ないからです。和歌山から左足が沈んでいるだけでもよっぽどですよ。それくらい神様の話を少しすれば理解できる人が希なのが当たり前なのです。日本だけでなく世界中の人です。日月の神様はこの神示を世界中に知らすと仰っています。一人でも多くの人が助かるよう尽力しないといけないです。
  
 この大変革を、大難を小難にするには人類が今までの心得違いを反省し悔い改めて信仰心を高め神様にお願いするしか方法はありません。
 
 



 

目 次
 

1,トップページ   2、自己紹介 
神示が解け始めた経緯
3,序論(前書き) 
4,地球の陸地の姿は如何に変わるか 5,人間の岩戸開き 神示に
チャクラ、クンダリーニがあった
6人類最後の日とはこの岩戸開き  
分子構造が変わり全てが崩壊する
7、民主、自由主義の屁理屈
あなたは霊界の何階から
産まれてきましたか?
8、奥山でしていた朝夕のお勤め 9、実践編 夫婦の借銭祓い
理にかなった夫婦とは
 
10、逆立ちとはイロの乱れからだった
ノアの洪水時、陸地は逆立ちになった 
   

 

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