2,日月神示(ひふみ神示)の真の解釈
自己紹介

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神示の説明の前に私がどのように神様をつかんでいったかを先ず聞いて頂いた方が、説明の助けになりますので我慢して聞いて下さい。

 私は大学時代に神様や仏様に心が引かれるようになり宗教の本を読むようになりました。始めは仏教やキリスト教の簡単な入門書を読んでいました。その当時、桐山靖雄氏のチャクラを開くシリーズの本が私の友人の中でブームになっていましたが、私はそのことを知りませんでした。友人二人と三人で酒を飲んでいるときに、私が最近宗教の入門書に関心がありこんな本を読んでいるという会話になりましたが、友人から「おまえレベルの低い本を読んでいるな。」とバカにされチャクラの話を二人からいろいろ聞かされました。それから私もチャクラが気になり、チャクラのことを書いてある本を読みあさりました。桐山靖雄氏本山博氏神智学のブラヴァッキー夫人、インドのヨガ聖者、等が書いたのを読みました。それに平行して丹波哲郎氏スエーデンボルグ氏等が書いた死後の世界の本も読んでいきました。これらの本を読み終わったころ、田舎の徳島の本屋さんでヨガナンダ氏が書いた「あるヨガ行者の一生」を見つけたのです。中々その店で売れなかったのか、本のカバーはぼろぼろでしたが少し立ち読みしてその内容に感動しました。なんで田舎の小さな本屋でこんなすごい本が売っているのか疑問に思いつつ買いました。家に帰りすぐ読み、この本の世界に魅了されてしまいました。この本はヨガナンダ氏の自叙伝で生まれたときから成長し、ヨガの師匠を求めて数多くのインドの聖者、賢者にお会いし、やっと本当の魂の師匠に出会えることができ、弟子入りしてクンダリーニを上昇させチャクラを開き覚醒した後、アメリカにヨガを普及させるために渡航しヨガ道場を作るという内容です。それをイエス・キリストや仏陀と同様の霊的な意識レベルで書いてあるのです。この本は本当に私にとってはおもしろいです。ヨガナンダが生きていれば直ぐにでもインドに行き弟子入りして一生修行をしたいと思いました。しかし当時私は股関節と膝が硬くて瞑想のポーズである結跏趺坐が出来なかったのです。頑張れば何とかなるというレベルでなく、どうしようもない状態でした。いまでは少し柔軟になりましたが、それでも二十〜三十分くらいしかあぐらが組めません。二〜三十分もすれば膝と股関節が痛くなってしまい正座をするか足を伸ばしてしまいます。もし結跏趺坐が出来ていれば瞑想の修行の方に行っていただろうと思います。今思えばこれも神様の計らいだったのだろうなと良いようにとっています。

 当時、人間は師匠を持った人と持たない人は宗教に関係なく全く味が違う。というのを何かの本で読み納得していました。そこでインドに行かなくても日本で師匠を探そうと考え、誰かに弟子入りしようかと思い色々本を読みましたが決心がつかず、ちょっと待て、家の仏壇の阿弥陀様に探してもらおうと思いついたのです。それまでいろいろ宗教の本は読みましたが神様や仏様が私の願いを叶えてくれたという実体験がなかったのです。ヨガナンダ氏は神様にお願いすれば全て願いを叶えてくれるのです。私も自分のお願いすることを叶えてくれる体験がしたかったのです。そのために師匠を持ち修行がしたかったのです。早速、毎朝シャワーで禊ぎをし、阿弥陀様にお祈りしました。3ヶ月くらい続けましたらなんと師匠を与えられたのです。それはそれは感動し嬉しかったです。仏様が先生を与えて下さり修行の人生を送りたいという願いを叶えてくれたのが嬉しくいっぱい涙が出ました。私が先生に始めて会う時、先生は先生で、夢で子供が出来その子供が先生の母乳を飲む夢を神様が見せてくれたそうです。先生は魂の子供が来たと喜んで下さいました。先生の神様の話はよく理解でき感動でいっぱいでした。しかし何回か先生の元へ訪れるうちに先生は天理教だったのが判ったのです。天理教には修行してチャクラを開きたいと思っている自分にとって少し抵抗がありました。だけど阿弥陀様が与えて下さった師匠であることと先生に天理教抜きで惚れ込んでしまっていました。だから天理教というのは少し抵抗が残りましたが先生に身をゆだねる決心をしたのです。

 まず先生は天理教本部の修養科で修行する指示を下さいました。修養科とは3ヶ月間天理教本部で天理教の教義やおつとめを勉強しかつ奉仕活動をするカリキュラムです。その3ヶ月は修行の日々を過ごしている喜びでいっぱいだったです。今思い返しても奉仕活動は他の人が真似を出来ないくらいよく頑張ったと思い出します。修養科での生活が一ヶ月位過ぎた頃、眉間の間がムズムズするのに気が付きました。それに意識を集中するとそのムズムズが渦のように回っているのが判りました。眉間のアジナチャクラです。瞑想も呼吸法もしてなく天理教のお地場での修養でチャクラが判るようになったのです。これはびっくりし驚き感動でした。頭頂は気で頭が盛り上がるようになり、喉のチャクラ、心臓のチャクラ、会陰のチャクラ、その他のチャクラの存在も判りました。先生にすぐ報告しました。私の先生は天体の星の動きが言葉では表現できないが或法則で動いているというのが判ったり、透視をしたり、私ら弟子が道に外れることをしたら眉間から糸を出して孫悟空みたいに頭を締め付けたりして弟子を導くのにこんな力を有効に使用していましたので、すぐ私の報告を理解し喜んで下さりました。それから天理教で覚醒するぞと修養は勇みに勇みました。修養科での最後には天理教の布教で使用する「おさずけ」真柱様から頂いたのですが、それを頂くのを天理教の神殿前で待機していると、虹が出まして神様が祝福して下さっていると感動致したのを思い出します。修養科での修行が終わり先生の元へ帰ってから天理教の布教を先生に教えて頂きながら始めました。しかし諸事情があり先生に出会って約3年で天理教での修行を離れることになりました。一番の原因は自分の意志の弱さだったろうと思います。先生からはいろいろな事を教えて頂きました。特に信仰の基本を教えて下さり、目の前に起こってくることで神様が何を言っているのか思案する習慣(日月神示でいうサニワ)をつけて下さいました。教えて頂いたことはここで紹介するには多すぎます。本当に感謝で一杯です。

 天理教を離れて神戸で普通の仕事をするようになったのですが、離れた頃はなにか悪いことが起こって来るのではと怖かった時を過ごしました。一年ぐらいすると本屋で中矢氏の日月神示の紹介本を見つけました。立ち読みして、この神様は天理教の神様と同列というのが直感で判りました。それを買って何回か読むと岡本天明氏の書いた本が読みたくなり本屋で岡本天明氏の書いた本はどんなのがあるか調べてもらったら「原典日月神示」等がありました。まずそれを取り寄せて読みましたが今の「ひふみ神示」と違い、読みにくくて一通り読むのにかなりの時間がかかりました。これでは神示を理解するには埒が行かないので『「原典日月神示」発行日:昭和51年2月22日 発行所:新日本研究所』の後書きに岡本三典先生が月刊機関誌「至恩通信」を発行しているのが書いてありました。電話番号も書いてあったので三典先生に電話して年会費を払ってそれを送って頂き読んでいたのですが、言霊のことばかりでチャクラの単語が一つも出てこないのです。黒住、天理、金光、大本、日月といっているのに、天理教もチャクラのことは言わないし、日月神示でも書いてない。何でだろうか、チャクラの説明が出来なかったら人類最後の教えとはいえないだろうとぼやいていました。しかしチャクラがひらいていた大本の出口王仁三郎氏が存命だったころには王仁三郎氏の元に昭和の偉大な宗教家が集まって勉強会が開かれていたとなにかの本に書いてありました。日月神示は大本の次に出た人類最後の教えと書いてあるので、三典先生の主催する勉強会には大本の勉強会よりもっと宗教の天才が集まっているだろう、中にはチャクラをひらいている人がいるに違いないと勝手に想像するようになっていました。よし行こうと決め電話で申し込み、三重県の菰野の奥山まで日帰りで勉強会に行きました。 

 しかし私にとっては期待はずれの勉強会でした。あの頃三典先生は言霊にこだわっていて至恩通信と同じような内容だったと記憶しています。勉強会に参加していた人でチャクラをひらいているような霊的次元の会話をしている人もいませんでした。落胆しました。しかしまだ一回しか参加してないし次はチャクラをひらいた人が参加するかもと気を取り直してその翌月の勉強会も参加しました。確かこの時は大学の先生が天孫系と出雲系の神様の講義をされたと思います。これも失望しました、というよりその方面は勉強不足だったので何を言っているのかさっぱり判りませんでした。ただ背広を着た先生が前で講義をしていたのは覚えています。そのころには三典先生が『「ひふみ神示」発行日:平成3年12月3日初版発行 平成4年11月11日第3版発行 発行元:株式会社コスモ・テン・パブリケーション』を出版されていました。(今回はこの「ひふみ神示」から神示を引用させて頂きます。)失望でしばらく日が経ちました。なんでチャクラの事を言わないのだろうかと思いつつも「ひふみ神示」を買って読んでいました。三典先生の自信作である第十六巻を辛抱強く、且つよくこんなに訳せるなと感心しながら読んでいましたらチャクラの単語を見つけたのです。それは 

 神の実言(命)聞く耳 早う掃除一番ぞ。
 掃除智座(ソージチクラ)、秘継ぐ数字(スジ)大神(加実)
 絶対開く元神は独楽(コマ)の理
        ひふみ神示 第十六巻

 神様はチャクラの事を言っていたと大喜びだったです。「千倉の置座」の千倉です。神の御言を聞く耳のチャクラを掃除するのが一番ぞ。それは独楽の理。つまり独楽が回るようにチャクラも回っている、あるいは回せ。と言っているではないか。それにしてもチャクラはサンスクリット語、千倉は日本語。意味深長ですね。大昔のある時期、人類の宗教用語は共通語だったのだろうか。こんなのを解明しようと思ったら時間がいくらあっても足りないです。

 「ひふみ神示」と平行して至恩通信で紹介していた武智時三郎氏の『「日本学とイスラエル」 昭和47年7月16日発行 発行所:(株)新日本研究所』を読んでいました。この本も難しいです。辛抱して一通りは読みました。その中に淡路島にユダヤ人が来て石室を作ってあり、その発掘をしたら?の字が石室の蓋に書いてあった、しかもその字を火で焼いて焦がしてある。(この?の字の件は、ナミの神様が火の神を生んでヌホトを焼かれて黄泉の国に入ったと関係あると思います。?は狭い意味で女性器の形を表し、人間の性器の色が肌色から焦げ目の土留め色に変わるのはこの理を受けているのでしょう。)と言う内容がありその締めくくりとして「淡路島は男根に似ているだろう」と書いてあるのを読んで、ひょっとしたらと閃きました。急いで地図を見ました。先ず淡路島を見ました。本当に金玉の付いた男根の形をしている。淡路島の徳島よりは鳴門海峡ですがそこには鳴門の渦潮がある。鳴門の渦は人間で言えば会陰のムーラダーラチャクラやないか。人間と同じ様に日本列島が出来ている。九州は顔、安芸の広島はアキレス腱(私の会社の名刺には「安芸の国はアキレス腱」と一言入れています)、和歌山で足が切れている。日月神示に書いてある一本足の案山子ではないか。樺太は剣、と次々に判り大興奮でした。すぐ三典先生にこの解釈を電話で報告しました。三典先生は私の自宅に詳細を聞きに行くと仰ったのですが、もったいないので私からお断りしました。そうすると三典先生は奥山での勉強会で主に二回(その他を含めば四〜五回)この発表をさせて下さいました。その当時まだ私は若く修行が足りなく、かつまだ神示の一端が解け始めただけだったのです。一回目の発表はみなさまに喜んで頂いたのですが、二回目の発表は勉強会に行くと急に三典先生から今回も講師で神様の話をするよう言われ何の用意もしてないし、日月神示の理解も浅いので言葉は足りないし、反対に失言がありでうまく発表が出来ませんでした。今から思えばこれも神様の思惑、時期が熟していなかったのでしょう。翌月からの奥山での勉強会では、その後別の方々が研究発表していきました。奥山以外にも私は自分の知人にこの大発見の話を次々にしたのですが、神様が仕組みの邪魔になるから動くなと言わんばかりの出来事が続きましたので、冷静になり積極的な活動はやめました。

 あれから二十年経ちました。二十年は短い様で長かったです。最近になってようやく神様の仰っていることが実践出来るようになってきました。何でも感謝し喜べるように成ってきたのです。少し前まではなかなか喜べませんでした。そんな時自分で自分に自己暗示をかけていたのです。今の元号の平成の解釈ですが、「平成」は「平らに成る」と書きます。平とは源平合戦の平家でありあります。平家を作った平清盛は神戸にある新開地の福原に京都から都を移しました。神様は平清盛に「新しく開いた土地の福原」に都を移させ、日月神示の解釈では「しく恵は福原」と私に断言して下さっていると思っています。これは神様の計らいで私に解釈は正しいと自信を持たせるため、また他の宗教にぶれないように、かつ自分の使命を気づかせて下さる為、清盛に京都から福原に都を少しの間ではありますが移させた実績を作ったのだろうと思っています。日月神示を持続して研究し、神示の実践がこつこつではありますが出来たのもこのように自己暗示にかけたからです。私は兵庫県明石市在住ですが、日月神示では「石物言うぞ、」とか、「なぜ石物言わないのか」というのがありますが、明石とは「日月の石」と書きます。この石とは自分のことではなかろうか。と思っています。あくまでも自称です。その他にも神示にはこれは自分のことを言っていると思っているのがかなりあります。イエス・キリストは預言者によって誕生を予言されましたが、神様は私の為に人類の歴史を作って下さったと自己暗示にかけています。このような自己暗示をかけないと周りに神様の話をする人がいない状況で、信仰を続け自分に自信を持ち続けるのはなかなかしんどいですよ。自分は会社勤めの仕事上ではこれまで目がでなかったのですが、これは自分が悪いのか神様から落されている試練を与えられているのか、いろいろ考えました。こんな時に自己暗示が必要なのです。「自分は誰よりも神様から愛されているのや頑張れ」と自分で自分の機嫌を取ってきました。これまで仕事は目が出ませんでしたが、私の家庭は神様が守り下さり借銭を返せているのが良く理解できています。天理教の先生から奇跡と言われました。
 ちなみに私はまだクンダリーニは覚醒してませんし、チャクラも開いていません。修行が足りないし時期が熟していないのです。

 



 

目 次
 

1,トップページ   2、自己紹介 

神示が解け始めた経緯
3,序論(前書き) 
4,地球の陸地の姿は如何に変わるか  5,人間の岩戸開き 神示に
チャクラ、クンダリーニがあった
6、人類最後の日とはこの岩戸開き

分子構造が変わり全てが崩壊する
7、民主、自由主義の屁理屈
あなたは霊界の何階から
産まれてきましたか?
 
8、奥山でしていた朝夕のお勤め 9、実践編 夫婦の借銭祓い

理にかなった夫婦とは
 
10、逆立ちとはイロの乱れからだった 
ノアの洪水時、陸地は逆立ちになった
 
   

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