10,日月神示(ひふみ神示)の真の解釈
「逆立ち」とはイロの契約違反から、ノアの洪水時に陸地は逆立ちになった

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はらひため 千城百国 精治万歳。 五十黙示録 第一巻 扶桑の巻 第六帖
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 「精を治めたら千の城も百の国も万の歳まで」ということですが神様を求めるのに一番コントロールしなければならないのが性欲みたいです。私は二十数年前に日月神示に出会って神示を実践すればクンダリーニを覚醒しチャクラを開けると確信し実践してきました。しかし神示に出会う前に読んだヨーガや密教では、実習でクンダリーニを覚醒しチャクラを開くために瞑想し呼吸法を実践します。この期間のみ性欲をコントロールするよう書いてありましたのでこの時のみ性欲をコントロールすればいいと思っていました。ただし最低限のことですが、妻以外の女性との関係は厳禁と天理教で教わりました。これは守れています。そして天理教ではイロの間違いをすると10年間宗教的運命の芽が出ないと教わりました。最近日月神示をじっくりと何回も読み直し、さらにチャクラやクンダリーニの本を読み直してこれは大きな間違いであると気が付きました。神示に「逆立ち」という言葉が出てきますが、これは「人間が神を見下ろす」という解釈のみと思っていたのですが、もう一つ「性欲のコントロールをしろ」という神様の指示の解釈もできるのです。
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ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。 ひふみ神示 第二巻 下つ巻 第三十七帖
 
 「逆立ち」の解釈は性欲のコントロールというのを説明していきます。次の引用文はヨガナンダ著の「ヨガ行者の一生 ヨガナンダの自叙伝」からですが、この引用は二十年前の岡本三典先生主催の勉強会で私が発表するときに発表の助けに出席された方にこのコピーを配らせて頂いたものです。その時から気に入っていた文ですがその時より深く解釈できるようになりました。ヨガナンダが師匠のスリ・ユクテスワァに聖書のアダムとイブの物語を質問したときのくだりです。
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「なぜ神様は罪を犯した夫婦ばかりでなく、まだ生まれぬ罪のない子孫にまで罰を加えられたのですか」
 先生は私の質問の無邪気さよりも、むしろその態度の猛烈さにおかしさを感じたらしい。「創世記は非常に抽象的だ。それ故、文字の解釈をしただけでは意味をはっきり掴むことは出来ない」彼は説明した。
 「あそこに出て来る生命の木というのは人間の体のことだ。脊髄はその木を逆さにしたようなものだ。つまり頭髪は木の根にあたる。そして運動神経と知覚神経が枝だ。神経系統の木には、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚という美味しい果実が実る。人間はこれらの果実を享受する権利を持っている。だが彼は性の経験―つまり肉体の花園の中央にある林檎を食べること―だけは禁じられていた。」
 蛇は性神経を刺激するところのとぐろを巻いた脊髄エネルギーの象徴である。そしてアダムは理性を、イブは感情を現している。人間の感情、即ちイブが性的衝動に征服されると、理性、即ちアダムも敗北してしまう。
 「神は己の意志力を通じて男と女を物質化することによって、人間という種族を創造した。神はこの新しい種族に神と同じ様な、汚れない方法によって子供を創る能力を賦与した。個性的霊魂における神の顕現は、従来、本能に束縛され、充分な理性に欠けている動物に限られていたがために、神は最初の人間を創り、これをアダムとイブと名づけたのである。そして彼らの上昇的進化を容易にすべく霊魂、即ち神性を与えた。アダム、即ち男性においては理性が勝り、イブ、即ち女性においては感情が優位を占めている。現象界の底にある二元性ないし両極性はかくの如く表現されているのである。理性と感情は、人間の心が獣性をおびた性エネルギーに欺瞞されぬ限り、つねにともども歓びの世界に浸っているのである。
 それ故、人間は下等動物の進化したものとは全然異なり、神の特別の創造意志によって造られたものである。動物の身体は神経を充分に現すには、あまりに粗末である。だが人間には鋭く目覚めた脊髄中枢とともに脳随中の一千の花弁を持つ蓮とよばれている素晴らしい精神能力が特に与えられている。
 最初に創造された男と女の中にある神、即ち聖なる意識は、彼らにすべての官能の享受を許したが、ただ触覚の官能に耽溺すろことだけは固く戒めた。これが禁止されたのは性器の発達をさけるためであった。つまり人類をして下等動物と同様の生殖法に陥らしめないためだったのである。ところが、潜在意識的に持っているこの獣的記憶を甦らせぬようにという神の警告はアダムとイブによって破られてしまった。彼らは野獣的生殖法を再び採用することによって、完全な原人に生まれながらそなえられている天上の歓びから、追放されてしまったのである。
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「ヨガ行者の一生」 147ページ 昭和57年3月30日 修正版第14版発行 著者パラマンダ・ヨガナンダ 発行者 森北肇 発行元 関書院新社  
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 植物は大地に種を蒔くと芽が出て少しすると双葉が出、それは太陽の光の方に成長していきます。この理と同じが野獣的生殖法つまりセックスで懐妊して子供が産まれることです。女性を逆立ちし頭を土の中にし、両足を開いた状態で膣(逆から読めば土)に種を蒔く(セックスをすると)と十月十日すれば膣から子供は頭から出て来ます。丁度植物が太陽の光の方に伸びると同じように女性を逆立ちさせ出産させると子供は頭から天に伸びるように出て来るという理は自然の摂理と同じになっているのです。もともと人間は逆立ちでありません。逆立ちであれば子供は頭からではなく足から産まれてきます。セックスによる今の生殖法で逆立ちが自然の摂理と同じになったのです。
 神様は天地を創造し大地を造りました。その大地は日本(エデンの園)と世界に分け日本も世界も神様の姿に似せて造ったのです。そして神様と人類の関係が崩れるごとに日本も世界も同じ様に陸地の姿を変えてきたのです。「セックスはしたらあかん」と神様と人間は契約したのに人間はその契約を破ってしまいました。それによって神様は地球の陸地の姿を逆立ちの状態に変えたと思います。それは神様が一番始めに陸地の姿を変えたときで、聖書の「ノアの洪水」の時ではないでしょうか。
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火結神(ほむすび)の 実秀答(ミホト)焼かへて 岩戸(言答)(一八十)閉ざしき。 五十黙示録 第五巻 極めの巻 第一帖
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 日月神示では、この性の契約と思われるのがこの事件です。ナミの命はミホト(女性器)を焼かれて岩戸が閉められたということです。このナミの命の理が人間に残っています。人間は男女とも思春期になると性器に陰毛がはえ性器の色が肌色から土留め色に変わります。これは性器を焼かれ性器に焦げ目をつけられているのです。陰毛は縮れていますが、まっすぐな髪の毛を火に近づけば縮れます。陰毛はヒゲ(火の毛)なのです。色の変化も火に近づけば焦げ目に変わるのが理解出来ます。男女とも神様に性器を火で焼かれているのです。焼くは約に言霊します。約とは契約のことです。契約とはもちろんアダムとイブの物語の性の経験を禁ずることです。神様は人間との約束でこの性の経験の禁止を口約束だけでなく、この性器を焼かれた印をつけることで性の経験の禁止の契約を言った言わないだけでなく契約の証拠まで残されたのです。異性の性器を見て下等動物と同じように発情しています。神様との約束を思い出すべきなのです。偉そうな事はいえません。私の心の性の野獣は日本一と思います。名前をこの野獣につけたろうといます。他にもいろいろ神様と人間との間には契約はありますが、神様のこの件での強い意志がわかります。人間はこの性の経験をするようになって岩戸が閉められたのです。神様を求めて神になりたいという状況が性の経験前はもともと備わっていたのです。天上の歓びが常で楽園に住まわせてもらっていたのです。人間はこの性の経験でチャクラもクンダリーニも性器の所にある岩戸が閉められ一寸先も判らぬ状態になったのです。しかし今回の岩戸開きでアダムとイブが性の経験をする前に戻れるのです。いやその時よりすばらくなるでしょう。ナギ、ナミの命はヌホコしか与えられなくこの世を造ったが、今回はヌホコ、ヌホト両方を与えられて作り直されるのです。ヌホコだけで造ったより完全な世がヌホコ、ヌホトで造られるのです。
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岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。  五十黙示録 第二巻 碧玉の巻 第十帖
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 人間は性の経験の契約を破ることで岩戸が閉められこの世のことや結果のことしか判らなくなり、あの世や因果応報の原因の事が理解出来なくなりました。一方的になってしまったのです。しかし今回の岩戸開きで千引の岩戸が開けてこの世のこともあの世のことも判るようになり、結果もその原因も将来も理解出来るようになれるのです。
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今迄して来た事が、成程 天地の神の心にそむいてゐると云ふこと心から分りて、心からお詫びして改心すれば、この先末代身魂をかまうぞ、借銭負うてゐる身魂はこの世にはおいて貰へん事に規則定まったのざぞ、早う皆に知らしてやれよ。 ひふみ神示 第九巻 キの巻 第八帖
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神は六ヶ敷いこと云はんぞ、神に心皆任せてしまうて、肉体慾 捨ててしまふて、それで嬉し嬉しぞ。神が限りなき光り、よろこび与へるのざぞ。 ひふみ神示 第十四巻 風の巻 第六帖
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そなたの心の中にゐる獣(ケダモノ)、言向けねばならん。善きに導かねばならん。一生かかってもよいぞ。それが天国に行く鍵であるぞ。マコトの改心であるぞ。 ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第八十六帖
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先づそなたの中にゐるけだものを言向け合さねばならんぞ。よく話し、教へ、導かねばならん。けものを人間と同じにしようとしてはならん。けものはけものとして導かねばならん。 ひふみ神示 補巻 月光の巻 第四十帖
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心にメグリ積むと動物のイレモノとなるぞ、神のイレモノ、動物等に自由にされてゐて、それでマコトの神の臣民と申されるか、判らんと申してあまりであるぞ。ゴモク吐き出せよ、其の儘にしておくと段々大きくなりて始末にゆかんことになりて、しまいには灰にするより、手なくなるぞ、 ひふみ神示 第八巻 磐戸の巻 第十一帖
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 性欲のコントロールとは「心」と「言葉」と「行い」この3つとも制御しなければなりません。心でイロが浮かんできたらよく話し教え導いてコントロール出来るようになるよう日月の神様は仰っています。
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 「官能の奴隷になっている人間に、どうして此の人生が楽しめるだろう。人生の醍醐味は、彼らが泥沼を這い廻っている内に逃げて行ってしまう。色欲の徒は、何ごとにも正しい判断を欠いてしまうものだ」
 スリ・ユクテスワァは二元のマヤの迷いから解脱しようとしている弟子たちに、忍耐強く、分かり易い忠告を与えた。
 「食べることの目的が空腹を満たすことで、食欲を満足させることでないと同様、性的本能は自然の法則に従って種族を繁栄させるためにあるもので、飽くことなき欲望を駆り立てることにあるのでない」彼はよくいわれた。
 「誤った欲望を今すぐ捨てなさい。でなければ、幽体が肉体の檻から抜け出た後も、それは追いかけて来るから・・・・・。たとえ肉体は弱くとも、常に抵抗しなくてはならない。誘惑がすさまじい勢いで襲ってきても、冷静な分析と不屈の意志力で打ち克たなくてはならない。
 お前の力を貯えておきなさい。宏大な大洋のような心になりなさい。大洋は一切の官能の河の流れをその中に吸収している。小さな欲望は、平和な心の貯水池に明けられた穴のようなもので、そこから流れ出る水は唯物主義の砂漠に無益に吸いこまれてしまう。邪悪な欲望は人間の幸福にとって最大の敵である。虎の如き自制心を以て、人生を歩みなさい。そうすれば欲望の蛙に執り着かれれることはない」
 神に帰依する者は、あらゆる本能の重圧から遂には解き放たれる。彼は、人間の愛情を求める心を、神への憧れに変えてしまう。神は偏在するが故に唯一の恋人である。
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「ヨガ行者の一生」 110ページ  昭和57年3月30日 修正版第14版発行 著者パラマンダ・ヨガナンダ 発行者 森北肇 発行元 関書院新社
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禁慾は神の御旨でないぞ。慾を浄化して、生めよ。産めよ。今の人民、慾の聖化を忘れて御座るぞ。慾は無限に拡がり、次々に新しきもの生み出すぞ。慾を導けよ。 ひふみ神示 第26巻 黒鉄の巻 第三十四帖
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?慾、浄化して喜びとせよ。喜び何からでも生れるぞ。 ひふみ神示 第二十七巻 春の巻 第九帖
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 次の引用文はゴービ・クリシュナ著の「クンダリニー」からです。この方は師匠を持たずしてクンダリーニを覚醒したのですがそのコントロールができず生死の境をさまよいましたが最後にはコントロール出来るようになった自分の体験談を記したものです。神様がなぜ欲を浄化しろと言っているのがよく判ります。
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目に見えないある機構の働きで、休眠状態にある器官がそれまで何ともなかったところで急に機能し始め、精液を高力価の光輝く微細な生命素子に変換させ、脊髄にそう気道や神経繊維などを通して、他の方法では達しえない頭脳をはじめ諸器官に送り、それぞれの細胞を賦活させたにちがいない。長い間、私は頭部の輝きとか身体内をすばやく動く強力な生命素子の流れは、すべて昇華され精製された精液のしからしめるところと考えていたが、時がたつにつれて、自分の見解を若干修正せざるをえなくなった。
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 人体の進化の過程は依然続いているのであって、人間の頭頂に近いある箇所では、特別に鋭敏な脳細胞からなる強力な意識中枢が自然的に開発されかけているのである。その中心部位は、脊髄気道を介して生殖器と直接的な連絡を有し、そこから、あらゆる頭脳部分ならびに神経系統全体に指令が発せられるような仕組になっている。
 普通人の場合、その中心は固いつぼみの状態にあって、生殖器からの分泌物にごく微量含まれている高力価の神経滋養素でつちかわれており、通常の生殖器機能に干渉することはない。しかし、進化した個人の場合、その中心が完全に開花して、既存の意識中枢にかわって機能するように仕組まれていて、その活動を維持するためには以前より強力な生命エネルギー源が要求されるので、神経細胞の働きにより特殊器官でごく微量ずつ抽出されては、すぐさま脊椎管を通じて頭脳に輸送されるらしい。
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「クンダリニー」 116ページ〜117ページ 1980年4月10日初版 1995年8月20日十七版 著者:ゴーピ・クリシュナ 訳者:中島 巌 発行者:堤 たち 印刷所:凸版印刷(株) 発行所:(株)平河出版社
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 性の経験の禁止の契約はこの引用からでも理解出来ます。精液を男根の方に出すことは蛇にそそのかされたことになり、精液を昇華させたエネルギーを尾底骨に持って行き脊髄にそって頭頂の意識中枢(王冠のチャクラでありてんし様のことです)まで上げる(この時音が聞こえるそうです)ことで意識中枢が身魂をコントロールするようになるのです。この精液を昇華させたエネルギーがクンダリーニであり龍なのです。精液を男根の方に出すか昇華させ頭頂に持って行くかで蛇と龍との差があるのです。龍とは神示では竜宮の乙姫様(龍九の音秘目様)です。意識中枢はチャクラといいこれはサンスクリット語ですが神道用語では千蔵(ちくら)です。チャクラは7つありますが総称で神名はこの花咲くや姫の神様(光花咲く耶秘目の神様)です。またチャクラの中でも頭頂のチャクラのことを王冠のチャクラといい神名は神示のてんしさまです。これはサンスクリット語でサハスーララチャクラといいます。この語と同源がサハラ砂漠です。
 男性の場合いろいろ文献があったのですが女性のことを書いた文献にであっていません。たしか女性は子宮口にムーラダーラチャクラがあると何かで書いてあったくらいしか知識がありません。男性の精液に対応するのが具体的に判りません。早く私自身このクンダリーニとチャクラのことを経験し自分の言葉で紹介したいです。現状では私のチャクラは色々変化していますが開くまでまだ至っていません。
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目 次
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1,トップページ? ?2、自己紹介 
神示が解け始めた経緯
3,序論(前書き)?
4,地球の陸地の姿は如何に変わるか ?5,人間の岩戸開き
神示にチャクラ、クンダリーニがあった
6人類最後の日とはこの岩戸開き
分子構造が変わり全てが崩壊する
7、民主、自由主義の屁理屈
あなたは霊界の何階から
産まれてきましたか?
8、奥山でしていた朝夕のお勤め 9、実践編 夫婦の借銭祓い
理にかなった夫婦とは
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10、逆立ちとはイロの乱れからだった
ノアの洪水時、陸地は逆立ちになった
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